2008年06月29日
Mパークホームズ管理組合通常総会
団地の管理組合相手のコンサルをしているので、自分のマンションの修繕なども大いに気になってくる。そろそろ大規模修繕に向かって動き出すようですね・・・でも合意形成には、ウチのマンションはちょうどいい規模(43戸)だと思ってます。何事もうまくいくでしょう。
2008年05月09日
緑地散歩#2
竣工を6月に控えたある現場でランドスケープ、ガーデンデザインなどをやっています。今は監理の真っ只中、でもちょっと工程が押していて、外構の本格着手がだらだらと延びぎみでテンパッています。来週からちょっとたいへんになりそう。こんな時には(?)歴史とお散歩...
GWに久々に自宅の地元、相模原の横浜水道道緑道を自転車で走ってきた。相模原市は、陸軍関係の施設が20世紀中ごろにたくさん作られ、河岸段丘の地形に沿って軍事都市として計画された直交する大きな道路が特徴的だが、それよりももっと前、明治期につくられた横浜市に津久井湖から水を供給するための水道道路(暗渠)の緑地で、米軍のハウス基地などを貫通していて都市計画の道路とは平行でない図上はかなり不自然なまっすぐ道だ(東林間から田名地区まで12キロが緑道として整備されている)。後でつくられた道路とも斜めに交差しているがお構いなしに緑道としてそこにあるのでグリーンコリドーとしては一定の植生や生き物を担保しているようだ(帰化植物がいっぱいだけど)。荒野とまでは言わないが、住宅と農地と工場といったちょっと中途半端なエリアをひたすらにまっすぐに走る道の不思議な密度感の緑道、しかもやや中途半端に手が入っていて、先にあったんだけどね、と道路が主張しているのがよくわかる。空間的には気持ちの良い、でもデザインを生業としている立場からみるとちょっと気持ちの悪い緑地(存在が担保された空地)だった。

GWに久々に自宅の地元、相模原の横浜水道道緑道を自転車で走ってきた。相模原市は、陸軍関係の施設が20世紀中ごろにたくさん作られ、河岸段丘の地形に沿って軍事都市として計画された直交する大きな道路が特徴的だが、それよりももっと前、明治期につくられた横浜市に津久井湖から水を供給するための水道道路(暗渠)の緑地で、米軍のハウス基地などを貫通していて都市計画の道路とは平行でない図上はかなり不自然なまっすぐ道だ(東林間から田名地区まで12キロが緑道として整備されている)。後でつくられた道路とも斜めに交差しているがお構いなしに緑道としてそこにあるのでグリーンコリドーとしては一定の植生や生き物を担保しているようだ(帰化植物がいっぱいだけど)。荒野とまでは言わないが、住宅と農地と工場といったちょっと中途半端なエリアをひたすらにまっすぐに走る道の不思議な密度感の緑道、しかもやや中途半端に手が入っていて、先にあったんだけどね、と道路が主張しているのがよくわかる。空間的には気持ちの良い、でもデザインを生業としている立場からみるとちょっと気持ちの悪い緑地(存在が担保された空地)だった。
2006年05月15日
緑地散歩#1
町田駅南口から約5分の我が家から、国道16号線沿いのトイザラス(日本1号店)への散歩道として最短コース(徒歩の場合の最短コース)が相模緑道緑地(鵜野森地区)。
以前『ランドスケープ批評宣言』で緑地論を少し書いたのだけど、最近、このコースをよく散歩するので、フィールドワーク的に素朴な記述をしてみたいと思う。
都心はもちろん町田あたりの風景からしても不自然なほど緑豊かなその名の通りの緑の道。この季節は歩いていると本当に気持ちがいい。相模緑道緑地は、相模原市鵜野森から大野台を経て上鶴間を結ぶ約10キロの緑道なのだが、この散歩はその一部に当たる。道はきれいすぎるほどに舗装され、ベビーカーを押していてもほとんど不自由はない。鵜野森地区は、低層の住居が広がる地域や畑、特に樹木畑(生産樹林)などの風景が連なって、少しずつ雰囲気を変えていくのも楽しいものだ。どうして都市計画的にこんな道があるのかと思って少し調べてみるとやはり例にもれず、他の都市施設の機能の転用だった。戦後の食糧難の時代に建設された相模原畑地灌漑用水路が廃止された跡地を利用したもののようだ。
緑道や緑地は、農地の水路や戦時中の空地が転用されてできたものが多い。都市と緑と道(道沿いの人々)のありようを横断的に考察するのに興味深い都市施設だと思う。(続く)

都心はもちろん町田あたりの風景からしても不自然なほど緑豊かなその名の通りの緑の道。この季節は歩いていると本当に気持ちがいい。相模緑道緑地は、相模原市鵜野森から大野台を経て上鶴間を結ぶ約10キロの緑道なのだが、この散歩はその一部に当たる。道はきれいすぎるほどに舗装され、ベビーカーを押していてもほとんど不自由はない。鵜野森地区は、低層の住居が広がる地域や畑、特に樹木畑(生産樹林)などの風景が連なって、少しずつ雰囲気を変えていくのも楽しいものだ。どうして都市計画的にこんな道があるのかと思って少し調べてみるとやはり例にもれず、他の都市施設の機能の転用だった。戦後の食糧難の時代に建設された相模原畑地灌漑用水路が廃止された跡地を利用したもののようだ。
緑道や緑地は、農地の水路や戦時中の空地が転用されてできたものが多い。都市と緑と道(道沿いの人々)のありようを横断的に考察するのに興味深い都市施設だと思う。(続く)
2006年04月25日
驚神社
少し前になりますが、4月の初旬にランドスケープ計画を担当しているTiプロジェクトの地鎮祭が驚神社(おどろきじんじゃ)でありました(現場は工期の都合で杭打がはじまっていたため)。

はじめて訪れたのですが、あざみの駅から徒歩10分程度でしょうか。御本殿のみの決して大きな神社ではありませんし、派手なしつらえもありませんが、山を背負っている立地と参道の佇まいと社殿の有様全体がとても瀟洒というか、単純にいいなと思える場所でした。建築的に何かを語れるものではないかもしれないけれど。旧鎌倉街道に接し、成立年代不詳とのことですが鎌倉時代の記録もあるようです。聞くところによると神奈川県、横浜市の無形文化財「牛込獅子舞」が行われる場所で、お祭りの時には夜店もでてとてもにぎわう場所だそうです。古来ならではの、山を背負って街道沿いに存する立地、地元のお祭りなどの場所性、サクラと針葉樹が生い茂る参道、現代と古来をつなぐ神社の原型のような場所を巡ったようで、ちょっといい場所を見つけたようで、いい気分でおまいりを終えました。場所をつくる仕事をしている者としても謙虚に勉強させられる思いです。

はじめて訪れたのですが、あざみの駅から徒歩10分程度でしょうか。御本殿のみの決して大きな神社ではありませんし、派手なしつらえもありませんが、山を背負っている立地と参道の佇まいと社殿の有様全体がとても瀟洒というか、単純にいいなと思える場所でした。建築的に何かを語れるものではないかもしれないけれど。旧鎌倉街道に接し、成立年代不詳とのことですが鎌倉時代の記録もあるようです。聞くところによると神奈川県、横浜市の無形文化財「牛込獅子舞」が行われる場所で、お祭りの時には夜店もでてとてもにぎわう場所だそうです。古来ならではの、山を背負って街道沿いに存する立地、地元のお祭りなどの場所性、サクラと針葉樹が生い茂る参道、現代と古来をつなぐ神社の原型のような場所を巡ったようで、ちょっといい場所を見つけたようで、いい気分でおまいりを終えました。場所をつくる仕事をしている者としても謙虚に勉強させられる思いです。